待機児童についてかんがえた。
待機児童問題については、以前から違和感がある。「日本死ね!」とか言われてもまったく同調できない。
なにかもやもやしたものがあったが、Web上で2つの記事を読んで少し、もやもやが晴れた。
アゴラ 筒井冨美さんの記事
保育園問題とは、不足よりも認可/無認可の格差 — 筒井 冨美 – アゴラ 言論プラットフォーム
数えられなかった羊
中産階級とは誰か、権威・不平等における外国人恐怖(『シャルリとは誰か?』捕捉) - 数えられなかった羊
この2つの記事を並べて読んでみれば、なんとなく問題の本質が見えてくる。
4大を出て、それなりの企業で総務とか広報などで正社員で働く、おそらく23区内のしかも杉並とか世田谷あたりに住んでいる人の子どもの保育と、さまざまな問題をかかえてしまい、いわゆる「夜のおしごと」をしているシングルマザーの子どもの保育とはどちらに優先順位があるのだろうか。
自分はあきらかに「夜のおしごと」をしているシングルマザーの子どもの保育をまっ先に充実させるべきだと思うし、そうした人たちが利用できる「公的」で「安価」な24時間対応の保育サービスの必要性については決して語られることがない。
さまざまな政党が、待機児童問題を語り、給付型奨学金問題を語るのは、選挙権18歳の流れからの発言であることは理解できる。しかし、それだけでいいのだろうか。
大学進学率が上がっても、50%近くの人は大学に行っていないということは事実であるし、土日や夜間にかかる仕事をせざるをえない女性たちはそもそも保育所に申し込むことすらできないのである。
少子化対策と言いつつ、その裏で、どういう階層の人間を増やしたいのか、という動きがあることに注意したいと思う。日本の社会保障をめぐる問題にはこの見えにくい階層の問題はついて回る。格差社会という問題にもついて回っている。