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「さくらのもり」で考えた。

社会福祉士が、福祉や社会保障についていろいろ考えてみるブログです。

生活保護についてかんがえた。

社会福祉-社会保障

あいかわらず生活保護関連のニュースが多い。

 

www.sankei.com

 

生活保護の不正受給をする人は、全体のほんのわずかといわれるが、こわいのはこのタイプの不正受給である。過去には担当者が架空の人物を作り上げ、保護費を自分の口座に振り込ませていたというケースもあった。

 

生活保護はその性格上名寄せがしにくい。そもそも住民登録がなくても受給できるのだから、いくつかの自治体で受給することはそれほどむずかしくはない。

 

都市伝説のようなものとされている「ウェルフェア・クイーン」は実在していて、彼女のやり口もこの方法だった。

 

こうした不正を見抜くにはやはり身近な人の告発に頼るしかなく、「あのうちは保護世帯なのに羽振りがいい。」みたいな通報がきっかけになる。そうしたことは監視社会みたいでいやだという風潮もあるが、生活保護は納税者の税金で賄われていてその税金の使い道を市民がきっちりと監視するのは、民主国家としてあたりまえのことでもある。

 

生活保護にかんする記事で驚愕したのは、以下の記事である。

 

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

不正受給を市民が監視するのではなく、保護担当の職員をもっと増やすべきという意見もあるのだが、生活保護に関連する経費はとてつもなくかかっていることがこの記事からわかる。行政の経費も含めた保護世帯1世帯あたりの保護費が1千万を超える都道府県が5つもあるということには本当にびっくりしてしまう。それでもさらに職員を増員しなくてはならないのだろうか。

 

自治体が支出する保護費の何パーセントが実際の保護に使われ、事務経費が何パーセントなのか、そのあたりをきっちりと検証する必要があるのではないだろうか。ちなみにいろいろと騒がせた小田原市のある神奈川県は、保護世帯1世帯あたりの保護費は全国一位の1,154万円とのことである。

 

生活保護行政がむずかしいのは、他の社会福祉援助と異なりインフォーマルな(ボランタリーな)サービスの供給ができにくいという点がある。また政策決定に当事者がかかわらないという特徴もある。例えば認知症でいうと、新オレンジプラン策定の際、認知症の当事者(NPOの代表や患者の家族ではなく、認知症の本人)が意見表明を行い、政策立案に生かされた。しかし生活保護に関する政策立案の過程でそのようなことが行われてはいない。

 

さらに現在の生活保護行政を困難にしているのは、ひとつの制度に無年金者・低年金者と病弱者・母子(父子)世帯、という、おおざっぱにいうと2つの類型がのっているということもある。

 

無年金や低年金で施設などに居住している方の場合、生活保護を「卒業」することは考えにくいし、施設等で日常生活については相談等も受けているので担当者のかかわりは少なくてもかまわない。

一方、若年で病気や失業、離婚などのために生活保護を受給している方は、「卒業」する可能性があるので、担当者は自立に向けた援助を行う必要がある。

 

本来は2つの制度とすべきものを1つの制度でまかなっているため、いろいろと齟齬が生じている。ケースワーカー1人当たりの担当件数というのがよく取り上げられるが、自立を本当に支援すべき受給者なのか、無年金で高齢者施設に入所している受給者なのかで職員の負担は大きく変わるはずであるから、厚生労働省はそこをきちんと分析した資料を作成すべきなのかもしれない。

 

生活保護行政に対しては、誤解や偏見が多い。先の小田原市のケースで見てみる。

 

 

hbol.jp

 

記事を一部引用してみる。

---引用開始

確かに「不正受給」は悪い。詐欺罪に該当する場合もある。悪い行為を未然防止することは、「正義」ではあろう。しかし、現場の生活保護担当者は、あくまでも「法によって定められた手続きの執行官」であって、「正義の代弁者」でもなんでもない。あくまでも、生活保護法やその他の関連法令に則って、生活保護の審査・支給に関する手続きを進めるのが仕事だ。そこに、「正義」などの価値判断が入り込む余地などない。いや、むしろ、執行官がそうした価値判断を挟むことは危険ですらある。

 だが、生活保護の現場ではこの「正義」が横行している。どの市町村でも、資格審査の席で担当者が持ち出すのは、申請者の収入状況や資産の有無など、法が定める客観的な指標ではなく、まずは、「働けるのなら働け」「甘えてはいけない」などの「正義」だ。

 資格審査担当者が「正義」で申請者を「水際」ではねのけているのだ。全国的に横行している「生活保護の水際作戦」とはこのことに他ならない。

---引用終了

 

どの市町村でも、申請を受け付けるときには、資産の有無や収入について確認は行っているはずである。そして言い方の問題はあるのだろうが、補足性の原則というものが生活保護法にはあり(第4条)、資産・能力の活用が要件となっている以上、「働けるのなら働け」という言葉は決して法が定めていない「正義」ではないのだ。

 

あえて、小田原市の職員を擁護してみる。そもそもジャンパーが威圧的だったからと言って、彼らがある特定の受給者に「不正受給だろう」などと言いがかりをつけたことはなさそうである。よく市役所の壁からさがっている「市民税は納期までに納めましょう」という垂れ幕や、林道の入り口にある「不法投棄は犯罪です」などという掲示とさほど変わらないということもできる。

 

自分もいろいろと税金とかを滞納している状況なので、市役所の前を通るたびにいやな気持になるし、督促状が届いた日などは垂れ幕を見たくないので、わざと回り道をしたりもする。でもその掲示は「あたりまえのこと」を「一般的に」言っているので、反論できない。

 

「不正受給は悪である」というのはあたりまえのことであり、反論できないことであり、もし不正受給をしていてそれを目にしていやな気持になったとしても、それはその人の問題なのではないだろうか。

 

今回のケースの引き金になったと思われる事件があったらしい。何年か前に生活保護担当者が暴力を振るわれた事件である。刃物でさされたらしい。この時市役所の職員、生活保護担当以外の職員や市長を始めとする市の幹部はどう反応したのだろうか。理由はどうであれ、市の職員に対し暴力をふるうことは許されない、という明確な態度を取ったのだろうか。市長は明確なメッセージを発したのだろうか。市職員は一丸となって生活保護担当職員の安全を守ろうとしたのだろうか。

 

市役所において、おそらく生活保護担当職員はわりと日陰の存在なのだろう。みんなが希望するようなポジションでは決してないのだろう。そして生命の危険にさらされても同僚から守ってもらえなかった職員に対し、市長も市民もみずからの責任をはたさずに処分して問題解決を図ろうとしてよいのだろうか。

 

きちんとした発言を控えるために、問題を隠蔽するために多額の経費を投入し、自治体財政を圧迫しているそれが現在の生活保護行政の現状なのです。生活保護行政は憲法で保障された生存権を実際に保障するという、ある意味行政マンにとって最高の仕事であるはずなのです。そうした仕事にかかわる担当職員が職場でもっと尊敬され、尊重されることが必要なのではないでしょうか。